尾州有楽流 歴代
尾州有楽流に至るまでの有楽流の歴代
織田信長 | 1534~1582。織田信秀の子。正二位、右大臣。贈正一位、太政大臣。 |
織田有楽 | 1547~1622。諱は長益。有楽斎・如庵と号する。織田信秀の十一男(織田信長の末弟)。従四位下、侍従。 |
織田道八 | 1582~1620。諱は頼長。通称、孫十郎・左門。道八と号する。織田有楽斎の嫡男。従四位下・侍従。 |
織田長好 | 1617~1651。通称、三五郎。織田道八の嫡男。祖父・有楽斎から有楽流茶法を継承する。 |
織田貞置 | 1617~1705。通称、左京亮・五郎左衛門・主計頭。黄雀軒・三過老人などと号する。従五位下・侍従。江戸幕府の高家旗本。織田信長の九男・信貞の次男。織田長好から有楽流茶法を継承する。門人に、自身の養子とした織田貞幹(尾張藩重臣)、松本見休(初代)、土肥二三(自在軒・三河吉田藩士)など |
松本見休 (初代) | ?~1715。捄茶軒と号す。丹後田辺藩御茶頭。師・貞置の茶法を集大成した『貞置集』や貞置の言動を記録した『咄覚集』などを著す。 |
尾州有楽流に至るまでの尾張藩での歴代
【 尾張徳川家 歴代 】 | |
徳川義直 (初代) | 1601~1650。尾張徳川家初代。徳川家康の九男。従二位・権大納言。 |
徳川光友 (2代) | 1625~1700。尾張徳川家2代。従二位・権大納言。茶道は一尾伊織から三斎流を学びつつ、織田貞置とも交友があった。 |
徳川綱誠 (3代) | 1652~1699。尾張徳川家3代。贈従二位・権大納言。茶道は織田貞置にも学ぶ。 |
徳川吉通 (4代) | 1689~1713。尾張徳川家4代。従三位・権中納言。 |
徳川五郎太 (5代) | 1711~1713。尾張徳川家5代。 |
徳川継友 (6代) | 1692~1731。尾張徳川家6代。従三位・権中納言。 |
徳川宗春 (7代) | 1696~1764。尾張徳川家7代。贈従二位・権大納言。 |
【 御茶道頭・山本道伝家 歴代 】 | |
山本道伝 (初代) | ?~1693。山本道伝家初代。諱は政之。山本道句(幕府御庭頭で古田織部の弟子)の子。二代将軍徳川秀忠の直命により御茶道として徳川義直に付属し、御茶道頭として仕える。 |
山本道伝 (2代) | ?~1715?。山本道伝家2代。諱は政儀。初代道伝の弟である正次(道永)の子。初代道伝の養子となり御茶道頭を務める。 |
山本道伝 (3代) | ?~1736。山本道伝家3代。諱は政房。通称は政之進。御茶道頭を務める。 |
【 御茶道・平尾家 歴代 】 | |
曹数也 (そうすうや) (初代) | ?~1664。尾州家御茶道平尾家初代。中国・明の出身で、明末の動乱を避けて日本に渡る。徳川義直に御咄衆として召し抱えられる。 |
平尾兼弥 (2代) | 1640~1704。尾州家御茶道平尾家2代。徳川光友より「平尾」の苗字を賜る(松平の「平」に尾張の「尾」に因むと伝わる)。御茶道、および御茶道小頭を務める。 |
平尾兼祐 (3代) | ?~1721。尾州家御茶道平尾家3代。御茶道を務める。 |
平尾数也 (4代) | 1707~1747。尾州家御茶道平尾家4代。始め兼弥と号す。御茶道を務める。 |
尾州有楽流成立以降の歴代
【 尾張徳川家での歴代 】 | |
徳川宗勝 (8代) | 1705~1761。尾張徳川家8代。従三位・権中納言。松本見休(2代)を招聘して有楽流を尾張藩の御流とする。更には松本見休と共に有楽流点前を総点検したうえで自身の見解も加えて体系化し、尾州家特有の有楽流である「尾州有楽流」を確立する。尾州有楽流の実質的な流祖。 |
徳川宗睦 (9代) | 1733~1800。尾張徳川家9代。従二位・権大納言。父・宗勝と共に尾州有楽流を好くする。 |
徳川勝長 | 1737~1811。鳳山と号す。従四位下左近衛権少将・掃部頭。8代徳川宗勝の子で、父と共に尾州有楽流を好くする。茶の湯のみならず、絵や作陶にも長じた。 |
徳川斉朝 (10代) | 1793~1850。尾張徳川家10代。従二位・権大納言。 |
徳川斉温 (11代) | 1819~1839。尾張徳川家11代。従二位・権大納言。 |
(徳川斉荘) (12代) | 1810~1845。尾張徳川家12代。従二位・権大納言。裏千家11代の玄々斎を重用し、家中の大部分を裏千家に改流させたため、斉荘が尾張藩主であった6年ほど、尾張藩の茶道流儀は裏千家一色となる。 |
徳川慶臧 (13代) | 1836~1849。尾張徳川家13代。従三位・権中納言。 |
徳川慶勝 (14代) | 1824~1883。尾張徳川家第14代・第17代。従一位、議定、権大納言。12代斉荘による裏千家の影響を排し、尾張徳川家の茶道を完全に尾州有楽流に治定する。自身も尾州有楽流の茶の湯に長じ、好みの茶室など作る。 |
徳川茂徳 (15代) | 1831~1884。尾張徳川家第15代。従二位・権大納言。 |
徳川義宜 (16代) | 1858~1875。尾張徳川家第16代。従三位・左近衛権中将。最後の尾張藩主。 |
【 尾張徳川家相伝の歴代 】 | |
松本見休 (2代) | 1690~1768。芦泉と号す。尾州家御茶道。尾州家8代宗勝に招聘され、尾張藩に有楽流を広める。徳川宗勝や御茶道頭・山本道伝らに真台子を伝授したとされる。 |
大河内定夫 | 1928~。対龍軒と号す。徳川美術館元副館長。尾張徳川家19代義親・20代義知・21代義宣・22代義崇の4代に亘って仕え、特に義親・義知から尾張徳川家の茶法を伝授される。 |
水野宗栄 | 1976~。余芳軒と号す。文学博士。織田信長や有楽斎など尾張守護家に茶の湯指南をおこなった桓武平氏系水野氏30代。大河内定夫に師事して尾張徳川家の茶法を伝授される。平尾宗慶と共に、尾張徳川家伝来の茶法と平尾家相伝の茶法とを補完することにより、尾張藩時代そのままの尾州有楽流の復興をなす。現・尾州有楽流家元。 |
【 御茶道頭・山本道伝家 歴代 】 | |
山本道伝 (4代) | 山本道伝家4代。諱は政暁。幽蓬軒と号す。御茶道頭を務める。徳川宗勝の命により松本見休に師事して有楽流を学び、尾州家での有楽流の指導者的立場となる。 |
山本道伝 (5代) | 山本道伝家5代。諱は政章。道八とも、澗号斎とも号した。御茶道頭を務めるも、享和元年に還俗を命じられて武官となり、これを機に尾張藩では御茶道頭が廃止される。 |
【 御数寄屋頭・平尾家 歴代 】 | |
平尾数也 (5代) | 1741~1789。尾州家御数寄屋頭平尾家5代。諱は原明。青霄庵と号す。山本道伝(4代・幽蓬軒)から尾州有楽流を学び、御茶道・御茶道小頭を務める。 |
平尾数也 (6代) | 1769~1833。尾州家御数寄屋頭平尾家6代。諱は吉章。始め兼弥と号し、心空庵・始流軒・及々斎・哉翁とも号す。御数寄屋頭を務める。尾州有楽流の秘伝書『曹秘集』を著して尾州有楽流の体系化に努め、文政6年には尾張藩から茶道格別の功者として賞されるなど、尾州有楽流のみならず尾張藩茶道の中心的立場にあった。山本道伝(政教、道伝家5代政章からの分家)・粕屋常斎・中島円弥など尾州家御数寄屋頭のほとんどを門弟とする。 |
平尾数弥 (7代) | ?~1856。尾州家御数寄屋頭平尾家7代。諱は逢吉。始め兼弥と号し、自軽院・自軽叟とも号す。御数寄屋頭を務める。『自軽秘書』を著すなど、父・心空庵と同じく尾州有楽流の確立に努め、尾張藩茶道の中心的立場にあった。 |
平尾兼弥 (8代) | 1823~1862。尾州家御数寄屋頭平尾家8代。円心院と号す。御数寄屋頭を務める。 |
平尾数也 (9代) | 1857~1937。尾州家御数寄屋頭平尾家9代。明治維新後、茶の湯が衰微するなかで尾州有楽流の茶法の維持に尽力すると共に、和歌を好くして宮中御歌所の阪正臣・千葉胤明・須川信行・遠山英一らと交友する。 |
平尾亨 (10代) | 1881~1971。尾州家御数寄屋頭平尾家10代。尾州有楽流の茶法の維持に尽力する。 |
平尾陸二 (11代) | 1933~。尾州家御数寄屋頭平尾家11代。尾州有楽流の茶法の維持に尽力する。 |
平尾宗慶 (12代) | 1949~。尾州家御数寄屋頭平尾家12代。心空庵と号す。水野宗栄と共に、尾張徳川家伝来の茶法と平尾家相伝の茶法とを補完することにより、尾張藩時代そのままの尾州有楽流の復興をなす。現・尾州有楽流宗家。 |